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東京地方裁判所 平成5年(ワ)16735号 判決

原告

石田美代子

右訴訟代理人弁護士

野嶋恭

伊藤嘉健

被告

日本信託銀行株式会社

右代表者代表取締役

島田欣一郎

右訴訟代理人弁護士

猪瀬敏明

主文

一  被告は、原告に対し金六一九万三八九一円及びこれに対する平成五年九月二五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の、その七を被告の、それぞれ負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金八八四万八四一七円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告(当時の横浜支店、現在は鶴見支店の扱い)は、

(一) 昭和六二年一〇月七日、訴外寳沢たつよ(以下「訴外たつよ」という)名義で、それぞれ平成四年一〇月二〇日を償還日として、

(1) 金一〇〇万円の貸付信託と、

(2) 金三〇〇万円の貸付信託と、

(3) 右(1)記載の収益金を積み立てる金銭信託の、

(二) 昭和六二年一一月五日、訴外寳沢三千男(以下「訴外三千男」という)名義で、平成四年一一月五日を償還日として金三〇〇万円の貸付信託の、

各信託契約(以下「本件各信託」という)を締結した。

2  訴外たつよと訴外三千男(以下「訴外たつよら」という)は、本件各信託の届出住所に住む実在の夫婦であるが、原告は、訴外たつよが原告方の家事手伝いをしていたことから同人を知っていた。そこで、原告は、本件各信託に際して、原告自身の名義を使用する代わりに訴外たつよらの名義を使用したものであり、本件各信託の権利者は原告である。

3  本件各信託の償還日到来時の収益金等は次のとおりであり、その合計額は金一八四万八四一七円である。

1の(一)の(1)分が金三〇〇円

1の(一)の(2)分が金七九万九七八三円

1の(一)の(3)分が金二五万〇六六二円

1の(二)分が金七九万七六七二円

4  よって、原告は、被告に対し、本件各信託契約による預託金払戻請求権に基づき前記1・3記載の元金及び収益金の合計である金八八四万八四一七円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成五年九月二五日から支払済みまで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1記載の事実のうち、原告と被告が信託契約を締結した事実は否認し、その余の事実は認める。

2  同2記載の事実のうち、たつよらが本件各信託の届出住所に住む実在の夫婦であることは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

3  同3記載の事実は認める。

4  同4は争う。

三  抗弁

1  免責約款

(一) 本件各信託については、次の場合について、受託者である被告の責任を免責する旨の約款がある。

(1) 信託に関する受取証及び諸届書等に使用されている印影を、相当の注意を持って、委託者から予め届出られた印鑑と照会し、相違ないと認めて信託金の支払その他の処理をした場合は、印章の盗用その他の事故があっても、そのために生じた損害について受託者は一切責任を負わない。

(2) 証書や届出印鑑を喪失した場合、委託者は直ちに受託者が定めた手続を取るものとし、右手続が遅れたために生じた損害については、受託者は一切責任を負わない。

(二) 本件については、訴外たつよ名義の各信託の償還日の翌日である平成四年一〇月二一日に、訴外たつよらから被告に対して、本件信託の届出印及び証書を紛失したとして喪失届がなされたが、右届出には訴外たつよらの住民票上の住所・氏名及び電話番号が記載されていた上、同人らの実印が押捺され、かつ、同人らの印鑑証明書が添付されていた。右の届出を受けた被告の担当者が、所定の手続に従い、普通郵便で訴外たつよらの届出住所地宛に右届出が預金名義人である訴外たつよらからのものに相違ないか否かを照会したところ、同月二八日付で同人から相違ない旨の回答があった。

(三) そこで、被告は、右喪失届がなされた平成四年一〇月二一日から一ヵ月以上を経過した同年一一月二五日付で、訴外たつよらに対して、本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻した。

(四) 仮に、本件各信託の預金者が原告であったとしても、被告は、本件払戻に際して所定の手続を遵守しているから、原被告間の本件信託に関する右約款によって免責されるべきである。

2  債権の準占有者に対する弁済

(一) 信託契約の締結に際しては、預金者が他人名義を使用することは禁止されており、預金者と預金名義人とが同一人であることを確認するために公的な証明書が必要とされている。また、本件各貸付信託について所得税法一〇条一項所定の三〇〇万円を限度とする非課税措置(いわゆる「マル優」)の適用を受けようとする者は、他人名義を用いて脱税するのを防止するため住民票等の提示が義務づけられている。そこで、被告は、本件各信託の締結に際して、預金名義人である訴外たつよらの住民票を提出してもらい、預金者本人の存在及び意思を確認した。

(二) 本件各貸付信託については、訴外たつよらの名義で「マル優」の適用を受けるための申請書が、本件金銭信託については、訴外たつよ名義で租税特別措置法三条一項(利子所得の源泉分離課税)の適用を受けるための選択申告書が、それぞれ作成されて被告に提出されているが、右申請書等に記載されている住所・氏名及び生年月日は、訴外たつよらの住民票上のそれと一致していた。そこで、被告は、本件各信託については、その名義人である訴外たつよらが真正の預金者であると信じていた。

(三) 本件については、訴外たつよ名義の各信託の償還日の翌日である平成四年一〇二一日に、訴外たつよらから被告に対して、本件信託の届出印及び証書を紛失したとして喪失届がなされたが、右届出には訴外たつよらの住民票上の住所・氏名及び電話番号が記載されていた上、同人らの実印が押捺され、かつ、同人らの印鑑証明書が添付されていた。右の届出を受けた被告の担当者が、所定の手続に従い、普通郵便で訴外たつよらの届出住所地宛に右届出が預金名義人である訴外たつよらからのものに相違ないか否かを照会したところ、同月二八日付けで同人らから相違ない旨の回答があった。

(四) そこで、被告は、右喪失届がなされた平成四年一〇月二一日から一ヵ月以上を経過した同年一一月二五日付けで、訴外たつよらに対して、本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻した。

(五) 以上のとおり、本件各信託契約締結の状況や払戻に際して取られた一連の手続に鑑みれば、本件各信託の払戻までの時点では、被告側に原告が預金者であることを窺わせる手掛りは全く存在しなかったのであるから、被告において、本件各信託の真の預金者が原告であることを知ることは不可能であったし、被告の取った払戻手続にも過失はないから、仮に本件各信託の預金者が原告であったとしても、被告が訴外たつよらに対してした本件払戻は、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済として有効である。

3  過失相殺

(一) 原告は、本件各信託の締結に際して、マル優や源泉分離課税という税金の減免特典を悪用するために、訴外たつよらの住民票を不正な方法で入手した上、訴外たつよらになりすまして被告の窓口を訪れ、訴外たつよらの住所、氏名、及び生年月日を記載し、その住民票を提出して被告を欺き、実在する他人名義で不正に本件信託を締結した。

(二) 訴外たつよらは現在ほとんど無資力のようであるが、原告は、平成五年七月六日には訴外たつよらによって本件各信託の払戻がなされていることを、同月一二日には訴外たつよらが横浜信用金庫生麦支店に四〇〇万円の定期預金と二〇〇万円の普通預金とを有していることを、それぞれ知ったのに、訴外たつよらに対して何らの法的措置を取らず、損害の回復を不可能にさせている。

(三) 以上の事情に照らせば、本件払戻に際して被告に何らかの過失があったとしても、原告にも過失があるので、公平の原則により、過失相殺されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(免責約款)について

(一) 抗弁1の(一)記載の事実は認める。

(二) 同(二)記載の事実は不知。

(三) 同(三)記載の事実のうち、被告が平成四年一一月二五日付けで訴外たつよらに対して本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻したことは認めるが、その余は争う。

(四) 同(四)の主張は争う。被告は、本件各信託の締結時に届け出られた印鑑によって信託金を払い戻したわけではないし、真の預金者である原告が本件各信託の証書や印鑑の喪失届をしたわけでもないから、本件については、被告の主張する約款によって被告が免責されるはずはない。

2  抗弁2(債権の準占有者に対する弁済)について

(一) 抗弁2の(一)記載の事実のうち、訴外たつよらの住民票を提出したのは同訴外人ではなく原告であるが、その余の事実は認める。

(二) 同(二)記載の事実のうち、被告が訴外たつよらが本件各信託の真正の預金者であると信じたとの点は争うが、その余の事実は認める。

(三) 同(三)記載の事実は不知。

(四) 同(四)記載の事実のうち、被告が平成四年一一月二五日付けで訴外たつよらに対して本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻したことは認めるが、その余は不知。

(五) 同(五)の主張は争う。

本件各信託については、被告から預金者宅に対して連絡しないよう通信不要届がなされていたのにもかかわらず、被告は、訴外たつよ名義の各信託の償還日である平成四年一〇月二〇日に先立ち、訴外たつよ宅を何回か訪問して本件信託の償還日が到来することを告げ、本件信託については知らないと回答した訴外たつよに対して、被告との取引を継続するよう勧誘した。そして、同日午後、被告の担当者は、被告の鶴見支店を訪れた訴外たつよが本件各信託証書も印鑑も所持していないばかりか、預金者にとって最も重大な関心事であるはずの金額についてさえ全く分からない状況であったのであるから、訴外たつよらが本件各信託を預け入れた人物であると主張する訴外三千男の母親の筆跡を提出させて被告が保管している預入時の書類の筆跡と照合したり、本件各信託を締結した当時の被告銀行内部の担当者に照会したりして状況を調査することもなく、また、訴外たつよらに警察へ紛失届を提出させたり(例えば、カード類の再発行の場合は、警察への届出を要求するのが通常である)、信用確実な保証人を取ることもないまま、訴外たつよらが預金者であると軽信して、その場で信託証書や届出印の紛失届の手続を指導して本件各信託の払戻手続を教示し、その翌日には喪失届を受理して、結果的に本件払戻をなしたものであるから、被告は、到底、善意無過失とはいえない。

3  抗弁(過失相殺)について

(一) 抗弁3の(一)記載の事実のうち、本件各信託の締結に際して原告が被告の窓口を訪れ訴外たつよらの住所、氏名、及び生年月日を記載し、その住民票を提出して実在する他人名義で本件各信託を締結したことは認めるが、その余は争う。

(二) 同(二)の事実は不知。

(三) 同(三)の主張は争う。

なお、過失相殺(民法四一八条)は、債務不履行に基づく損害賠償について適用されるものであるから、本件のような貸付信託金の払戻請求事件については適用される余地がない。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する(なお、理由中に示した書証はすべて真正に成立したものと認められる。)。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1記載の事実のうち、原告主張の日時に訴外たつよらの名義で本件各信託がなされたこと、及び同3記載の事実(本件各信託の償還日到来時の収益金等の合計額が金一八四万八四一七円であること)は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告が本件各信託の真実の預金者であるか否かであるが、原告が本件各信託の証書(甲一号証の一ないし四)及び印鑑(印影は甲五号証)を所持していること、本件各信託の締結に際して作成された書類(甲四号証、乙一号証、乙二号証、乙一七号証の一ないし三、乙一八号証、乙一九号証、乙二〇号証の一ないし三)の「訴外たつよ」らの署名が原告の筆跡によるものであることのほか、原告の陳述書(甲六号証)や原告本人尋問の結果、証人寳澤たつよの証言によれば、本件各信託は、原告が訴外たつよらの名義を利用して契約したものであることは明らかである。

3  したがって、請求原因事実はすべて認めることができる。

二  抗弁について

1  抗弁1(免責約款)について

(一)  抗弁1の(一)記載の事実(被告主張の内容の約款が存在すること)及び同(三)記載の事実のうち、被告が平成四年一一月二五日付けで訴外たつよらに対して本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻したことは当事者間に争いがない。

(二)  ここでの問題は、本件について被告主張の約款が適用されるべきか否かであるが、被告主張の約款の内容は、①被告がその払戻を請求された場合、払戻請求書等に信託契約締結の際に届け出られている印影が押捺されていれば、印章の盗用その他の事故があったときでも、被告は免責される、②預金者が信託証書や届出印鑑を喪失した場合、直ちに所定の喪失手続を取らなければならず、右手続が遅れたために生じた損害については、被告は免責される、というものである。

(三)  しかるに、本件各信託の締結に際して作成された書類(甲四号証、乙一号証、乙二号証、乙一七号証の一ないし三、乙一八号証、乙一九号証、乙二〇号証の一ないし三)、訴外たつよらが本件各信託の証書や印鑑を紛失したとして届出た書類(乙四号証ないし乙一五号証)、本件払戻に関与した千田敏郎の陳述書(乙二三号証)、同じく沢崎和雄の陳述書(乙二四号証)、原告本人の陳述書(甲六号証)、原告本人尋問の結果、証人寳澤たつよ、同千田敏郎、同沢崎和雄の各証言によれば、本件各信託の払戻に際しては、被告の窓口相談課長であった沢崎和雄から訴外たつよらに対して証書や印鑑の紛失手続をするよう指導がなされ、その指導に従って訴外たつよらから提出された喪失届を受けて証書の再発行や改印手続がなされた上で訴外たつよらによる本件払戻がなされたものであって、前記約款にあるように、当初の届出印影と照合して払戻がなされたものではないし、証書や印鑑の喪失手続が遅れたために損害が生じたというものでもないから、被告の右主張は、採用することができない。

2  抗弁2(債権の準占有者に対する弁済)について

(一)  抗弁2の(一)記載の事実のうち、信託契約の締結に際して預金者が他人名義を使用することは禁止されていること、預金者と預金名義人とが同一人であることを確認するために公的な証明書が必要とされていること、「マル優」の適用を受けようとする者に住民票等の提示が義務づけられていること、本件各信託の締結に際して預金名義人である訴外たつよらの住民票が提出されていること、同(二)記載の事実のうち、本件各貸付信託については訴外たつよらの名義で「マル優」の適用を受けるための申請書が、本件金銭信託については訴外たつよ名義で源泉分離課税の適用を受けるための選択申告書が、被告に提出されていること、右各申請書等に記載されている住所・氏名及び生年月日は訴外たつよらの住民票上のそれと一致していること、同(四)記載の事実のうち、被告が平成四年一一月二五日付けで訴外たつよらに対して本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円を払い戻したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  また、訴外たつよらが本件各信託の証書や印鑑を紛失したとして届出た書類(乙四号証ないし乙一五号証)、本件払戻を担当した沢崎和雄の陳述書(乙二四号証)、証人寳澤たつよ及び同沢崎和雄の各証言によれば、同(三)記載の各事実(平成四年一〇月二一日に訴外たつよらから被告に対して届出印及び証書を紛失したとして喪失届がなされたこと、右届出には訴外たつよらの住民票上の住所・氏名及び電話番号が記載されていた上、同人らの実印が押捺され、かつ、同人らの印鑑証明書が添付されていたこと、担当の沢崎和雄は所定の手続によって普通郵便で訴外たつよらの届出住所地宛に右届出が預金名義人である訴外たつよらからのものに相違ないか否かを照会したこと、同月二八日付けで同人らから相違ない旨の回答があったこと)を認めることができる。

(三)  しかしながら、本件各信託の締結に際して作成された関係書類(甲三号証、甲四号証、乙一号証、乙二号証、乙一七号証の一ないし三、乙一八号証、乙一九号証、乙二〇証の一ないし三)、前記乙四号証ないし乙一五号証、本件払戻に関与した千田敏郎の陳述書(乙二三号証)、本件払戻手続を処理した沢崎和雄の陳述書(乙二四号証)、原告本人の陳述書(甲六号証)、原告本人尋問の結果、承認寳澤たつよ、同千田敏郎、同沢崎和雄の各証言を総合すれば、原告は本件各信託以前にも被告(当時の横浜支店)で訴外たつよらの名義を利用して貸付信託などを行なっていたこと、本件各信託については、諸通知を被告から預金者宅に対して送付しないよう通信不要届がなされていたこと(甲三号証は原告が寳澤三千男名義分について通信不要を届出たものであるが、乙一号証の寳澤たつよ及び寳澤三千男両名の印鑑票にも「通知不要」のスタンプが押されているから、寳澤たつよ名義の本件各信託についても通信不要届がなされていたものと推認するのが相当である)、それにもかかわらず、被告の社員である千田敏郎は、訴外たつよ名義の各信託の償還日である平成四年一〇月二〇日に先立ち、同月一日、同月六日、同月一二日、同月一九日の四回にわたって訴外たつよ宅を訪問し、同月六日以降三回にわたって訴外たつよと面談して本件信託の償還日が到来することを告げたこと、これに対して、訴外たつよは、当初は本件信託については何も知らないと千田に回答したが、何度も千田の来訪を受けているうちに、本件各信託は訴外たつよの夫である訴外三千男の実母が積んでいてくれたのではないかと思うようになり、一〇月一九日に被告の鶴見支店に電話をして窓口相談課長の沢崎と話をしたところ、沢崎課長から来店するよう指示されたので翌二〇日に姪の大原秀子と共に被告の鶴見支店に出向いて、沢崎課長から本件各信託の種類や金額や償還日などの説明を受けたこと、その際、訴外たつよは、沢崎課長から証書や印鑑について尋ねられたので、約四年前に死亡した訴外三千男の実母である寳澤エンが積んでくれたものではないかと思うが、詳しいことは分からないし、証書や印鑑も持っていないと答えたこと、沢崎課長は、訴外たつよらの住所や氏名を確認したところ本件各信託の際に提出されていた住民票の記載と一致していたことから訴外たつよらが預金者であると信じ、訴外たつよらの話によれば本件各信託の締結手続をしたことになる訴外三千男の実母エンの筆跡を確認したり、締結当時の被告支店の担当者に確認したりはしなかったこと、訴外たつよらは翌二一日にも被告支店を訪れて届出の姓名を「宝沢たつよ」から「寳澤たつよ」に変更した上、証書や印鑑の喪失届をしたが、その際、訴外たつよは本件各信託の種類や金額や償還日などについて何も知らなかったので、本件各信託の内容については沢崎課長に教えられたとおりに記載したこと、以後の手続は機械的に進められ、結局、平成四年一一月二五日付けで訴外たつよらに対して本件各信託の元本及び収益金の合計八八四万八四一七円が支払われたこと、以上の事実を認めることができる。

(四)  右に認定の事実によれば、なるほど被告は所定の手続を経た上で証書や印鑑の紛失について処理し本件の払戻をしたことが認められるが、そもそも訴外たつよらは本件各信託について何も知らなかったのであるから、被告の職員が償還日の前に訴外たつよ宅を訪れて同人に本件各信託の存在を教えなければ、本事件は発生しようもなかったこと、また、訴外たつよは沢崎に対して訴外三千男の実母が積んでいてくれたのでないかと説明したようであるが、他方、訴外たつよらは、本件各信託の証書も印鑑も所持していなかったばかりか、本件各信託の種類や金額や償還日などについて全く答えることができなかったのであるから、金融機関の担当者としては、預金手続をしたと主張されている訴外三千男の実母の筆跡を確認したり、締結当時の被告支店の担当者に確認したりして、一般の払戻の場合よりは慎重な対応が求められていたと考えられることなどに鑑みれば、本件被告には過失があるというべきである。なお、被告は、原告が不正な方法で訴外たつよらの住民票を提出していたことを重視しているようであるが、そのことから直ちに被告の過失が否定されるものでないことは多言を要しないところである。

しかして、民法四七八条所定の債権の準占有者に対する弁済については弁済者たる債務者の善意無過失が必要とされているところ、本件払戻については、前記認定説示のとおり、債務者である被告に過失があると判断されるから、民法四七八条を適用することはできない。

3  抗弁3(過失相殺)について

(一)  抗弁3の(一)記載の事実のうち、本件各信託の締結に際して原告が被告の窓口を訪れ訴外たつよらの住所、氏名、及び生年月日を記載し、その住民票を提出して実在する他人名義で本件各信託を締結したことは当事者間に争いがない。

(二)  また、原告本人の陳述書(甲六号証)、原告本人尋問の結果、証人寳澤たつよの各証言を総合すれば、同(二)記載の事実(原告が平成五年七月六日になってようやく被告の鶴見支店を訪れ、本件各信託の払戻を受けようとして初めて本件各信託が訴外たつよらによって払戻されていることを知り、同月一二日には訴外たつよ宅を訪れて同人らが横浜信用金庫生麦支店に四〇〇万円の定期預金と二〇〇万円の普通預金とを有していることを知ったこと、原告が訴外たつよらに対して何らの法的措置も取っていないこと、訴外たつよらは現在ほとんど無資力であること)を認めることができる。

(三)  右に認定の事実によれば、被告が訴外たつよらを真実の預金者であると信じて同人らに対して本件各信託を払戻したことについては、原告にも応分の責任があると考えられる。

もっとも、原告に応分の責任を認めることについて、原告側は、民法四一八条所定の過失相殺は債務不履行に基づく損害賠償について適用されるもので、本件のような貸付信託金の払戻請求については、つまり債務の履行そのものを求める請求については、適用される余地がないと主張している。

(四)  そこで、判断するに、なるほど本件は、貸付信託金の払戻を請求しているもので、債務不履行に基づく損害賠償を請求しているものではないから、民法四一八条所定の過失相殺をそのまま適用することはできない。

しかしながら、本件の事実関係の下では、被告は、原告に対して貸付信託金全額の払戻をした後、不当に払戻を受けた訴外たつよら及びその払戻の一因を作った原告に対して、共同不法行為に基づく損害賠償として先に訴外たつよらに対して支払った金額の賠償を求めることができると考えられるところ、右に認定のとおり、訴外たつよらは無資力であるから、実際問題として、被告は原告に対して損害賠償を請求することとなるが、この被告と原告との損害賠償請求訴訟では、結局、本件訴訟で問題となっているのと同様に、被告と原告のそれぞれの過失割合に応じて損害が分配されることになる。そうであるならば、本件訴訟において過失相殺を否定した上で別の主張をさせたり別訴を提起させることは手続的にも迂遠であるし、仮に、本件について民法四一八条所定の過失相殺の規定を類推適用して被告と原告に損害を分配しても当事者間の実質的公平を害することもないと考えられる。

したがって、本件については、民法四一八条所定の過失相殺の規定を類推適用することができるというべきところ、そもそも本件の問題は、原告が課税を免れる目的をもって実在する他人名義を無断で利用して本件各貸付信託契約を締結し、不正な方法で訴外たつよらの住民票を入手してこれを被告に提出したことに端を発しているのであるが、このような行為が違法なものであることは明らかである上、本件各信託の償還日である平成四年一〇月二〇日から被告が訴外たつよらに対して払戻をした同年一一月二五日までには一か月以上の期間があったのであるから、この間に原告が被告に対して本件各信託の払戻を求めていれば本件のような問題は生じていなかったことなど前記認定の諸事実を総合勘案すれば、本件における原告の過失割合は三割と定めるのが相当であるから、原告の本件請求は、請求額の七割について認めることができる。

また、本件記録によれば、本訴状は平成五年九月二四日に被告に送達されているから、原告が求めている遅延損害金の起算日は、その翌日である同月二五日である。

三  結論

以上の次第で、原告の本件請求は、請求額の七割に相当する金六一九万三八九一円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成五年九月二五日から支払済みまで商事法定理率である年六分の割合による遅延損害金の支払を命ずる限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条及び九二条本文を、仮執行の宣言につき主文第一項に限り同法一九六条一項本文を、それぞれ適用して、主文のとおり判断する。

(裁判官須藤典明)

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